『絶対に忘れちゃいけない村上先生』

今から遡ること16年前、2004年の暑い夏の日のこと。ビルグーンちゃんという生後9か月の男の子が、日本へ緊急移送されました。ビルグーンちゃん一家が暮らしていた草原で火事が起こり、小さなビルグーンちゃんは全身の21%にもおよぶ範囲に大やけどを負ったのです。当時のモンゴルの医療は今以上に未発達であったことは想像に容易く、ビルグーンちゃんを診察したモンゴル人医師は「両手両足の切断が必要だ」とご両親に伝えました。ご両親が何とか道を探ろうと奔走した結果、日本のモンゴル大使館、日本のモンゴル大使館はじめ様々な人のサポートにより日本への緊急移送が実現し、ビルグーンちゃんは日本医大で手術を受けることに。ご両親、関わったすべての人たちの願い、祈りとともに、小さなモンゴルの男の子の命が日本人医師の手に委ねられました。

2度にわたる手術を受けた結果、ビルグーンちゃんの容体は安定し、五体満足で一命をとりとめます。その後は、日本で1か月以上の入院生活を送ることとなるのですが、当時の一家の収入は月2万円以下だったとのこと。一家を支援するため、日本で学ぶモンゴル人留学生たちが「ビルグーンちゃんを救う会」を立ち上げ、募金活動が開始されました。その様子は日本のメディアでも広く報道され、日本のモンゴル大使館では、支援希望の方からの電話がひっきりなしに鳴り響いていたそうです。

 

話は変わりますが、皆さんは「朝日奨学会」という朝日新聞の奨学金制度をご存知でしょうか。外国人留学生が日本で新聞配達をしながら学校で学ぶことのできる奨学金制度で、モンゴルからも毎年数名の若者が朝日奨学生として日本へ旅立っています。ウランバートルでは「モンゴル日本青年交流支援センター」というNGOが奨学生の選考や渡日前の日本語指導などを行っており、11月1日、同団体が主催する「日本語スピーチコンテスト」が開催されました。私は審査員の1人としてお招きいただき、10名のスピーチを聴かせて頂いたのですが、その中に「絶対に忘れちゃいけない村上先生」と題したスピーチをした青年がいました。

 

(要約)

「幼い頃に大やけどを負い、多くの人の支援のおかげで日本で治療を受けることができた。これまで何度も何度も手術をして、痛みに耐えてきた。学校ではいじめられるかもしれないと不安もあったが、みんな優しく接してくれた。僕は今日本語を学んでいる。日本語を学び、日本へ留学するのは、僕の夢ではない。義務だ。日本へ留学して、あのとき助けてくれた村上先生、通訳の大束さんに御礼を言いたい。ありがとうと言いたい。僕は、必ず日本へ行きます。」

 

この日ステージに立ち、まっすぐ前を向いて日本語でスピーチをした青年が、あのビルグーンちゃんだったのです。

会場には、幼い彼を助けるため奔走した仲間がいました。「みんなで繋いだ小さな命がこんなに大きくなっていたなんて。」その方は、静かに涙を流していました。

 

私達には想像もできないような痛みや苦しみがあったことでしょう。それでも、感謝の気持ちを持ち続け、目標に向け努力するビルグーンちゃん。彼が立派に成長し、日本人との絆を忘れないで大切に思っていることを伝えてくれたことで、大げさな話ではなく、生きる勇気をもらいました。この日登壇してくれた彼に、心からのありがとうを伝えたいです。

 

 

 

 

 

この記事を書いた人write

鹿野 詩織
鹿野 詩織(かの・しおり)

8歳の頃、初めて出会った海外の友人がモンゴル人だったことがきっかけで、モンゴルに憧れを抱く。 早稲田大学国際教養学部在学中にモンゴル国立大学への留学が実現。 卒業後、アクセンチュア株式会社、外務省勤務を経て、日本国際協力センター(JICE)にて、モンゴルにおけるJICAの人材育成プロジェクトに携わる。 モンゴル滞在中は、孤児院支援、遊牧生活、起業も経験。 現在は早稲田大学公共経営大学院に在学し、モンゴル研究、通訳、執筆活動等を行っている。

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